アパート

その他

私の父は食品店を営んでいた他に、神奈川県厚木市近くの土地を購入し、そこに小さなアパートを建ててアパート経営もしていました。

私が小さい時の話だったのでぼんやりした記憶ですが、アパートを見に行くというと車で遠出して、大きな川(相模川)を渡り、急な坂をのぼった先に広い道路、大きな工場の区画(内陸工業団地)を抜けて、そうこうした先に父が建てたアパートがありました。

なぜ厚木の方にアパートを持ったのかというと、母の弟、おじさん家族がその地に住んでいて、「家の前の畑が売られているから買ったら?」みたいな話を父に持ち込んだそうです。おじさん夫婦は一時は父の食品店のお手伝いをしてくれていたので仲が良く、家族でアパートの様子を見に行くといったときは必ずおじさんのところに寄って、私はいとこ達と遊んだり、近くの河原(中津川)に行ってみんなで遊んだ記憶があります。

そして両親がよく寄った店は、どこかの坂の途中にある鯉料理を出してくれる店です。私は子ども時代は魚料理が苦手で、しかも鯉は学校の池で飼われていたので、鯉を食べるの!?と、私はあまり行きたがらなかったのですが、私が一緒に行かなくなってからは両親だけで寄っていたようです。

両親と行ったお店はどこだったかな?いまもあるのかな?「ひょうろくだま」って両親は言ってたなと気になって調べてみますと「瓢禄玉」とありました。こんな難しい字を使っていたんだ。Googleマップで確認すると、確かに坂の途中にあるようで、私のぼんやりした記憶通りです。住所でいうと相模原市の当麻というところでした。敷地には池があって鯉などの魚が泳いでいたような記憶があります。

父は車の免許証を返納してからは厚木の方のアパートに行かなくなり、たまに両親と私の家族で旅行をした帰りに高速を下りてちょっと寄り、チラッとアパートを見るくらいになりました。

そんな両親が「久しぶりにアパートを見にいきたいな、連れていってくれない?」と珍しく声を掛けてきて、夫の運転で私と両親だけで平日午前中ならササッと行けたかもしれませんが、コテツとサスケも連れて一緒に見に行きたいということでした。父はコテツとサスケに自分が建てたアパートを見せたかったのかもしれません。コテツは車に酔う体質で車のお出掛けは行きたがらず。そして父のガンが転移していたのが見つかり再入院も決まったこともあり、私が「今のうちに見に行こう」と両親を誘ったものの、「退院してからでいい」という返事。

2020年11月、手術のために入院していった父は3週間で退院する予定でしたが、手術中の大量出血で危ない状態だったなか一命はとり止め、回復に向かうかと思っていたところ入院中に脳梗塞がおき、そのまま寝たきり状態になってしまいました。その後、肺の状態が悪くなり一般病棟と集中治療室の病棟を何度も行き来し、何度も危ないと言われていたなか頑張っていましたが、2021年4月に一度も家に帰ることもなく逝ってしまいました。

もっと早くにアパートに連れて行ってあげれば良かった。2020年の頃はとにかく外出は控えてといわれていた頃でしたので何となく後ろめたく、行きそびれた感がありました。アパートに行くと言えば「ひょうろくだま」で鯉料理を食べたいと言っていた父を思い出します。今度母を誘って行ってみようと思っています。

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